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東京地方裁判所 平成7年(ワ)15747号 判決

原告

株式会社棟興住宅

右代表者代表取締役

五十嵐勇

原告

五十嵐勇

五十嵐ちえ子

右訴訟代理人弁護士

田中章雅

角田伸一

被告

千代田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

鳥谷部恭

右訴訟代理人弁護士

田邨正義

村田恒夫

佐藤昌樹

右訴訟復代理人弁護士

佐野真

主文

一  原告らの請求をずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  被告は、原告株式会社棟興住宅に対し、金八七〇〇万円及びこれに対する平成七年九月五日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告五十嵐勇に対し、金一二五〇万円及びこれに対する平成七年九月五日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告五十嵐ちえ子に対し、金一二五〇万円及びこれに対する平成七年九月五日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告らが被告保険会社に対し、被告保険会社と締結した普通傷害保険契約等に基づき、被保険者である亡五十嵐正貴の死亡による保険金の支払を求めたのに対し、被告保険会社が「亡正貴は、てんかん発作によって転倒した結果頭蓋内出血を起こして死亡したものと認めるべきであるから、外来性という保険支給要件を欠き、又は脳疾患による傷害に基づく死亡として保険約款の免責条項に該当するので、被告には保険金の支払義務がない」旨主張しているという事案であり、中心的争点は亡正貴の死亡がてんかん発作によるものか否か(保険支給要件への該当性、免責条項への該当性)である。

一  (前提事実)

1  原告らの関係

原告会社は、木造、軽量鉄骨及び鉄筋建築の設計施工を業とする株式会社であり、原告五十嵐勇がその代表取締役を、同原告の妻である五十嵐ちえ子がその取締役を、それぞれ務めている(当事者間に争いがない)。

2  原告らと被告保険会社の間の本件各保険契約締結

被告保険会社との間で、原告会社は別紙保険契約目録記載一ないし二八の各保険契約を、原告五十嵐勇は同目録記載二九ないし三一の各保険契約を、原告五十嵐ちえ子は同目録記載三二ないし三五の各保険契約を、それぞれ締結した(当事者間に争いがない。以下「本件各保険契約」という)。

3  本件各保険契約の補償内容

右本件各保険契約は、別紙保険契約目録記載のとおり、同目録記載一ないし一七、二九、三〇の保険は原告五十嵐勇を被保険者本人とし、同目録記載一八ないし二八、三二ないし三五の保険は原告五十嵐ちえ子を被保険者本人とし、同目録記載三一の保険は原告五十嵐勇と原告五十嵐ちえ子の次男である五十嵐正貴を被保険者本人とし、いずれも被保険者本人のみを被保険者とする普通傷害、被保険者本人、配偶者及び同居の親族を被保険者とする家族傷害、同じく被保険者本人、配偶者及び同居の親族を被保険者とするファミリー交通傷害を補償内容としており、同目録記載一ないし二八の死亡保険金の受取人は原告会社とされ、同目録記載二九ないし三五の保険の死亡保険金の受取人は法定相続人とされている(当事者間に争いがない)。

4  本件各保険契約の約款

(一) 普通傷害保険約款は、第一条において、保険事故の要件を「被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によって身体に被った損害」と定義すると共に、第三条一項五号において、「被保険者の脳疾患、疾病又は心神喪失」によって生じた傷害に対しては、保険金を支払わない旨定めており(乙一三の一ないし三)、家族傷害保険約款(乙一の一)も、まったく同文の規定をおいている(第一条、六条一項五号)。

(二) ファミリー交通傷害保険約款(乙一の二)においては、次の各号に該当する傷害に対して保険金が支払われる旨定められている。

(1) 運行中の交通乗用具に搭乗していない被保険者が運行中の交通乗用具との衝突・接触などの交通事故または運行中の交通乗用具の衝突・接触・火災・爆発等の交通事故によって被った傷害

(2) 運行中の交通乗用具に搭乗している被保険者または乗客として改札口を有する交通乗用具の乗降場構内にいる被保険者が、急激かつ偶然な外来の事故によって被った傷害

(3) 道路通行中の被保険者が次に掲げる事故によって被った傷害

イ 建造物・工作物等の倒壊または建造物・工作物などからのものの落下

ロ 崖崩れ、土砂崩れ又は岩石等の落下

ハ 火災または破裂・爆発

ニ 作業機械としてのみ使用されている工作用自動車との衝突・接触等または作業機械としてのみ使用されている工作用自動車の衝突・接触・火災・爆発等

(4) 被保険者が建物又は交通乗用具の火災によって被った傷害

5  亡五十嵐正貴の死亡

(一) 亡五十嵐正貴(昭和五〇年二月七日生)は、平成六年一二月五日午後六時五〇分ころ、横浜市緑区長津田四丁目一二番一二号森建設株式会社長津田出張所前の駐車場内(以下「本件駐車場内」という)において倒れているところを発見され、救急車で長津田総合病院に搬送された。

(二) しかし、五十嵐正貴は、五日後の同月一〇日、右長津田総合病院において、後頭部打撲による脳挫傷兼頭蓋内出血によって(甲二、乙三)、死亡した(当事者間に争いがない)。

6  亡正貴の相続

亡正貴には配偶者及び子がいなかったので、父である原告五十嵐勇と、母である原告五十嵐ちえ子が各二分の一の割合で亡正貴の権利義務を法定相続した(当事者間に争いがない)。

二  (被告保険会社の主張)

亡正貴は、帰宅途中の本件駐車場内において、突然てんかん発作に見舞われ、路上に転倒して後頭部を強打した結果、脳挫傷兼頭蓋内出血により死亡したものであり、保険事故で必要とされる「外来性」の要件を欠く。また、普通傷害保険及び家族傷害保険における免責条項に定める「被保険者の脳疾患による傷害」に該当すると認められる。また、交通傷害保険の保険金支給要件のいずれにも該当しない。したがって、被告保険会社には本件各保険契約による保険金支払義務がない。

三  (原告らの主張)

亡正貴は、てんかんの持病を有していたものの、怠薬、徹夜及び飲酒等のてんかん発作の誘因状況も認められず、病院搬送時にはてんかん発作を起こした形跡もなかったことなどから、てんかん発作を起こして転倒したものとは考えられず、それ以外の何らかの外的要因によって受傷したものというべきである。したがって、被告保険会社には、本件各保険契約の受取人である原告らに対し、請求の趣旨記載の保険金を支払うべき義務がある。

第三  争点に対する判断

一  当裁判所の判断

以下の(1)ないし(9)の各事情を総合すると、亡正貴は、帰宅途中の本件駐車場内において、歩行中に突然意識消失を伴うてんかん発作に見舞われ、アスファルト舗装の路上に転倒して右後頭部を強打した結果、脳挫傷兼頭蓋内出血の傷害を負って死亡したものであると認あるのが相当である。

(1)  目撃証言

証人沖睦子は、「自分が徒歩で帰宅途中に本件駐車場に至ったところ、約五メートル以上前を歩いていた男の人が突然倒れたのを目撃した。一旦立ち止まって倒れたように思う。すぐ後ろから来た男性と共に、倒れている男性のそばに寄ったが、反応がなかったので、急いで近くの森建設の飯場に行って一一九番を依頼した。倒れたところを注目して見ていた訳ではないが、進路前方の視界のなかには倒れた男性が入っており、その男性が第三者と喧嘩したとか、交通事故に遭ったということはなかった」旨証言しており、右目撃証言からは、亡正貴が歩行中に突然倒れたものであり、喧嘩や交通事故等の外的要因が存在しなかったことが認められる。

(2)  CTスキャンによる「対側打撃」

亡正貴が病院に収容されたときに撮影されたCTスキャンによれば、亡正貴の右後頭部の受傷は、定型的な「対側打撃」であって、加速度がついた状態で右後頭部を受傷し、その衝撃が前頭部の脳内にまで損傷を与えていることが認められ(乙三、原告勇供述)、転倒による受傷という右沖証言を裏付けている。

(3)  身体外表の損傷等

亡正貴の全身外表の損傷については、後頭部の右側に大きさ4.5センチメートル×4.5センチメートルの点状表皮剥奪簇部が認められ、この傷はアスファルト舗装道路の路面との衝突によって生じたものと考えるのが自然であり、それ以外の身体外表には何ら損傷異常が認められなかった(乙三、原告勇供述)。また、亡正貴の衣服には破れや乱れはなかった(乙五)。したがって、身体外表の損傷等の点からも、喧嘩や交通事故等の外的要因は考え難い(乙三)。

(4)  病院収容時の亡正貴の言動

亡正貴は、病院収容後はある程度の対応ができ、頭痛を訴えたり、尿道を通す検査に対して痛いから嫌だなどと意思表示することができたが、その際に亡正貴が第三者との喧曄や交通事故などを訴えた形跡がない(乙四の三枚目②、乙一一の三枚目、甲一二の六ないし七頁)。

(5)  亡正貴のてんかんの既往歴

亡正貴(昭和五〇年二月七日生)には、次のようなてんかんの既往歴がある(乙八・こども医療センター診療録)。

①昭和五二年一月一五日 朝九時、強直間代性痙攣二分間程。

②昭和五二年五月一一日 八時ころ、父親と遊んでいて突然座り込んでしまい、その後全身強直、意識喪失。

③昭和五二年六月 軽い発作一回、すぐ回復、その後異常なし(乙八の下欄頁数九七)。

④昭和五二年一一月初め 砂場で遊んでいたが、後方にバタンと倒れた。起こしたら、また前方に転倒。強直性痙攣約一分間、嘔吐して止まった(乙八の下欄頁数九九)。

⑤昭和五二年一二月一日 階段の上から下まで落下、後頭部打撲(乙八の下欄頁数一〇〇)。

⑥昭和五三年二月二五日 朝より、痙攣二回、発作後昏迷続き、意識はっきりせず(乙八の下欄頁数一〇三)。

⑦昭和五三年六月二日 午前一〇時椅子から床へ転倒した。全身性の痙攣、強直性、眼球上転、嘔吐、硬直

⑧昭和五三年六月三日 昨日、帰ってから痙攣一回(経時間も数秒)、眼球上転、口をきつく結ぶ、反応なし。

⑨昭和五三年一一月五日 今朝九時三〇分、朝食中に眼球上転し、痙攣一、二分。

⑩昭和五四年一月二九日 今朝、朝、歩行時ふらつき、転んだり、どぶに落ちたりした。変だと思っているうちに、唇硬く噛み、眼瞼のピクピク、約三〇秒、嘔吐。しばらくして、投薬、直後、同様のてんかん発作、この間、意識はっきりせず、近くの病院へ行ったが、右側への眼球偏位を指摘された。

⑪昭和五四年三月二三日 朝、軽い発作あり、一瞬。

⑫昭和五四年七月一三日 発作、短時間、一回のみ。

⑬昭和五四年九月七日 軽い発作、瞬間的。

⑭昭和五五年二月一九日 八時二〇分痙攣、目右方視、意識喪失。救急車に乗る前、九時頃口強く噛み、強直性痙攣、救急車に乗ってからも痙攣、痙攣と痙攣の間には意識喪失。

⑮昭和五五年三月九日 三月八日より咳、三月九日昼より発熱38.3度、嘔吐二回、痙攣二回短時間(ひきつけた後はすぐ意識戻る)、九日入院後、短時間のてんかん大発作

⑯昭和五五年五月二〇日 目の前がおかしい、痙攣一〇秒、嘔吐一回、発作後、覚醒だが傾眠

⑰昭和五五年七月二八日 朝七時ころ体温37.4度、排尿後寝込んでクテンとしてしまう。意識なくなり、救急車の中で意識出現。痙攣なし。

⑱昭和五五年八月三〇日 午前一〇時三〇分ころ、ブランコより転倒、後頭部打撲し、口内より出血。

⑲昭和五五年九月一五日 午前六時三〇分ころ、痙攣様(上肢をピクピク)一瞬意識消失、呼びかけに応じなくなる。痙攣、右上肢、下肢払いのけるように、三〇秒くらい(診察中に)。

⑳平成二年一月一一日 塾で倒れた。本人の話では、右上肢ががくがく痙攣し、椅子に座ったまま後方に倒れたと、痙攣の持続時間は不明。母が塾に着いたときは朦朧としていて救急車の中で意識戻った。

亡正貴のてんかん症状は、右の①ないし⑳のような経過を辿っており、二歳三か月時から抗けいれん剤の投与が開始され、五歳以後は発作もほとんどなくなり、脳波も改善したため、一四歳時には抗けいれん剤バルプロ酸の投与が減量され、一四歳一〇か月時にはさらにそれが中止されてフェノバルビタール剤だけが投与された。しかし、一四歳一一か月時に痙攣発作が再発したので、再び抗けいれん剤バルプロ酸が投与され、それ以後は痙摯発作はなくなった(乙八の下欄頁数一七五)。そして、平成六年八月二六日(一九歳時)には亡正貴は神奈川県子ども医療センターから昭和大学藤が丘病院に転院したが、同病院においても、脳波異常が認められたため、神奈川県子ども医療センターの医師からの引継ぎに従って抗痙攣剤が投与され、てんかん発作はみられなかった(乙二の一、二)。

右の経過に鑑みると、亡正貴は様々なタイプのてんかん発作を起こした既往歴があり、投薬によって痙攣発作を抑制していたことが認められるのであり、神奈川県子ども医療センターの主治医によれば、「怠薬、徹夜、飲酒など特別な誘発因子がなければ、てんかん発作が起きた可能性は少ない」状態であったことが認められるが(乙八の下欄頁数一七八)、仮に誘発因子がなかったとしても、てんかん発作を起こす可能性が「少ない」といえるだけであって、「絶対にない」とは断言できず、一般論としては数年間発作のない患者でも発作を起こすことはありうるし(乙二の二の二枚目4項)、薬を飲んでいれば絶対に発作が起きないというものでもないことが認められるから(乙二の二の二枚目10項、乙六)、亡正貴には、やはり、本件駐車場でてんかん発作が起きた可能性があったものと言わざるを得ない。

(6)  路面の状況

本件駐車場内は多くの人が長津田駅から帰宅途中に近道をするために通るところであるが(沖証言)、人が通行する場所は路面も平坦であり(乙七)、障害物は見当たらないので、亡正貴が何かの障害物に躓いて倒れたものとは考えにくい。仮にてんかん発作がなくて何らかの障害物に躓いたのだとすれば手や肘をつくなどしてその傷が身体外表に残るのが自然であると思われるが、亡正貴の身体にはそれらの傷はないから、障害物に躓いて転倒したものとは考え難い。

(7)  発見時の亡正貴の硬直、けいれん、泡の不存在との関係

原告は、「救急隊員が駆けつけたときの亡正貴には、硬直、けいれん、泡の存在は認められず、亡正貴の意識レベルはJCS三〇(放置すれば意識が薄れるが、強く呼びかければ反応するという状態)であったし(乙五)、開頭手術中にもてんかん発作はみられなかったから、てんかん発作が起きたとは考えられない」旨主張するが、てんかん発作は、必ずけいれんを伴ったり、泡を吹くとは限らず、意識消失だけの発作もあるうえ、前記のとおり実際に亡正貴のてんかん発作にはそのような一時的な意識消失だけの軽い発作の既往歴も認められるのであるから、硬直、けいれん及び泡の不存在が仮に認められたとしても、それをもって転倒の原因となるようなてんかん発作が起こらなかったとは言えない。

(8)  てんかん発作の誘発因子の存否との関係

亡正貴の父である原告勇は、「亡正貴には、怠薬はない。徹夜もないし、風邪を引いていたようなこともない。日頃から飲酒もしない。したがって、亡正貴には、てんかん発作を招くような状況はなかった」旨供述するが(甲一二)、一九歳の青年について、父親がどこまで怠薬の有無や、体調について把握し切れているかは疑問であり、右の原告勇供述にもかかわらず、てんかん発作の誘因因子が全くなかったとは断定できない。

(9)  亡正貴がうつ伏せで倒れていたこと

小林証人は、「亡正貴が進行方向である南側を頭にして、うつ伏せのような状態で、顔を左に向けて倒れていた」旨証言し、被告は、「てんかんの発作によって倒れて右後頭部を打ったとしたならば、仰向けに倒れているはずである。うつ伏せに倒れていたというのは、てんかん発作によって倒れたものでないことを推認させる」旨主張する。しかし、右後頭部を強打した勢いでうつ伏せになることもあるかもしれないし、一旦仰向けに倒れた以後に小林証人が現場に駆け付けるまでの間に亡正貴がうつ伏せ姿勢を変えたということも考えられるから、小林証人が目撃した段階で亡正貴がうつ伏せの状態であったことが間違いないとしても、それは、てんかん発作による転倒の認定の妨げにはならない。

二  結論

以上のとおり、亡正貴は、意識消失を伴うてんかん発作によって路上に転倒して右後頭部を強打した結果脳挫傷兼頭蓋内出血の傷害を負って死亡したものであり、転倒後には何らの外的要因も加わっていなかったことが認められる。したがって、本件においては、普通傷害保険及び家族傷害保険における「外来性」という保険支給要件を欠いているし、「被保険者の脳疾患による傷害」という免責事由の存在することが認められる。また、亡正貴の死亡原因は、交通傷害保険の保険金支給要件のいずれにも該当しない。それゆえ、被告保険会社には、本件各保険契約に基づく保険金の支払義務はなく、原告らの請求は、いずれも理由がない。

よって、主文のとおり、判決する。

(裁判官齊木教朗)

別紙保険契約目録〈省略〉

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